【連載】日本の公安警察2025(第5回)市民社会を監視する

青木 理(フリージャーナリスト)
2025/07/06

 近年の公安警察組織が新たなレゾンデートルに位置づける「外事」部門が水面化でどのような活動を繰り広げているのか、前回の本連載では、当の「外事」部門がインターネット上に大量流出させてしまった内部文書からその一端を垣間見た。合計で1000頁近くにも及んだ当該の文書群は、「国際テロ対策」を担務と謳って警視庁公安部が2002年に新設した外事3課(当時)から漏れ出し、それ自体が治安機関としての根本的資質が問われる重大事件だったというのに、ついには流出元さえ特定できないまま事件を迷宮入りさせてしまった無惨な醜態も、公安警察組織の能力ばかりかその必要性さえ疑わせるものだったと私は指摘した。

 続いて今回もまた、ごく近年における公安警察組織の隠微な活動の、その一端が外部に漏れ出た事案を取りあげてみたい。

大垣事件――公安警察による市民の監視

 舞台は岐阜県の大垣市、問題となったのは岐阜県警大垣署の公安部門である警備課の所業である。この一件については、すべての発端となる事実をスクープし、以後も現地に密着して取材する朝日新聞・伊藤智章編集委員の優れたルポが本誌3月号に掲載されている。だから私は、公安警察組織を長年ウオッチしてきた立場から、事案の持つ問題点や意味をやや別の視点を交えて考えていきたい。

 まず概略のみ記せば、発端となるスクープを朝日新聞が放ったのは2014年の7月24日。中部電力の子会社「シーテック」(本社・名古屋市)が大垣市などで建設を計画した風力発電施設をめぐり、計画に疑問を抱いた地元住民らが勉強会を開くといった活動をはじめたところ、大垣署の警備課が当該住民らのプライベート情報を調べあげ、さらにはその情報をシーテック社側に伝達していた――それが記事の骨子であり、伝達された情報には住民の氏名や年齢、職業、学歴、さらには病歴や住民同士の関係性といった極度に機微な個人情報までが含まれていた。

 しかも朝日が入手したシーテック社の内部文書には、大垣署警備課の課長らも同席して住民情報をひそかに伝達するに際し、シーテック社側に次のような〝アドバイス〟や〝注意喚起〟まで与えていたことが赤裸々に記述されていた。2013年8月から翌14年6月にかけ、少なくとも4回に及んだ両者の〝情報交換〟会合を記録した文書から、ごく一部を引用しておく。

〈勉強会の主催者(引用註・文書内は実名)が風力発電に関わらず、自然に手を入れる行為自体に反対する人物であることをご存知か〉

〈このような人物と繋がるとやっかいになる〉

〈そこから全国に広がっていくことを懸念している〉

〈大々的な市民運動へと展開すると、御社の事業も進まない〉……

 ここで問題点をあらためて詳述する必要もないだろう。本連載で幾度か記してきたように、公安警察といっても所詮は警察組織の一部門にすぎない。なのに犯罪発生の蓋然性すらない住民運動や市民運動を一方的に危険視し、敵視し、野放図な情報収集や監視の対象とするのは憲法が保障する思想・信条や集会・結社の自由に違背しかねない。

 また、警察が組織として収集した情報を外部に――ましてや機微な個人情報を民間企業などに漏らすのは、地方公務員法が謳う守秘義務、つまりは「職務上知り得た秘密を漏らしてはならない」と定めた同法34条に違反する可能性が極めて高い。当然ながら朝日記事にも、その点を問題視する以下の識者コメントが添えられている。

 〈そもそも、警察は入手した情報を漏らしてはいけない。今回は、一企業の活動に利する目的で警察が情報を漏洩しており問題だ。一方、企業側は、普通は入手できない情報を手に入れた。警察と企業間に何かしらの疑わしい関係があると疑われても仕方ない〉

 まったくその通りだと頷きつつ、しかし一方で私は、公安警察を長くウオッチしてきたがゆえに感覚がスレているのか麻痺しているというべきか、この朝日記事を一読した際にさほどの驚きはなかった。むしろこうした活動は、北海道から沖縄まで全国津々浦々に配された公安警察組織がごく日常的に、そして古くから長年にわたって繰り広げてきたのが現実だからである。

 このあたりについても詳細は拙著『日本の公安警察』を参照していただきたいのだが、たとえば電力や金融といった基幹産業や防衛関連、あるいは先端産業分野などは、公安警察が「危険」と目する人物や団体がその内部や周辺に〝浸透〟していないかを常時監視の対象としてきた。また、各種の市民団体やペンクラブといったメディア関係の個人、団体などもまた広く監視対象とされてきた。

開き直るしかなかった公安警察

 加えて近年はその活動範囲が逸脱的に拡大している気配もある。「反共」という従来のレゾンデートルが失われつつある情勢下、これも組織生き残り策の一環ではあるのだろう、公安警察内では「幅広情報」を呼ぶらしいのだが、既存の「左翼勢力の監視・取り締まり」にとどまらない幅広い政治情報の収集に乗り出している、と私が関係者から仄聞したのはもう10年以上も前のことになる。

 また、あえて公安警察側の立場に寄って記せば、隠微な情報収集活動によって得た情報を〝活用〟し、中央省庁の幹部人事などにまで影響力を及ぼし、「危険」人物を排除するといった所業に手を染めてきたことは本連載でも以前記した。

 以上のような活動実態を踏まえれば、公安警察組織の末端神経である岐阜県警の警備課による所業もまた、いかにもアナクロな旧来型活動が現在も変わらず続けられている証左に過ぎないともいえる。

 実際、極度に中央集権的な態勢で全国の公安警察を統括する警察庁の警備局長は2015年6月、大垣署の所業は重大な人権侵害ではないかと参議院の内閣委員会で迫った野党議員に対し、「公共の安全と秩序の維持という責務を果たす」ために「通常行なっている警察業務の一環」と開き直っている。逆にいうなら、そうやって開き直る以外の方途はなく、徹底して隠微であるべき活動が表沙汰にされてしまったことこそが公安警察にとっては最大の失敗であったろう。

 しかも監視対象とされた地元住民らはこれを座視せず、問題点を真正面から問う国家賠償請求訴訟を起こした。そしてその訴えに司法権の砦たる裁判所も呼応し、最終的には原告側の完全勝訴といえる成果をあげた。殊に公安警察が全国津々浦々で続けてきた隠微な活動の違憲性、違法性を真正面から指弾し、公安警察側にとって未曾有の痛撃となった判決は、近年稀にみるほど画期的な司法判断と評しても構わないだろう。

名古屋高裁判決――断じられた公安警察

 その起点となる訴訟が起こされたのは2016年の12月末、朝日のスクープで事実が発覚してから約2年半後のことだった。原告には大垣署警備課の監視対象とされた住民4人が名を連ね、岐阜県を相手取って一人あたり110万円、合計で440万円の賠償を求めた訴状には、重要で普遍的な問題提起がいくつもちりばめられている。

 まずは大垣署警備課による監視活動そのものの不当性であり、これは「公権力による市民運動の意図的な抑圧」であると同時に、そもそもが「法的な根拠のない活動で違法」ではないか、という点。また、監視活動によって得た情報を民間事業主であるシーテック社に提供したのは「私企業の利益を図る」ものであり、当然ながら「地方公務員法が禁ずる守秘義務違反」に該当するばかりか、いずれも警察法が2条で謳う「普遍不党且つ中正公平」な警察活動から逸脱し、「憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉」にあたる「権限の濫用」ではないか、という点。さらには、公安警察による同様の活動は「全国のいたるところ」で行なわれており、だからこれは「日本社会における自由と民主主義のあり方そのものが問われる事件」にほかならない、という点――。

 そう問題提起した提訴から約5年後、全国的に冷え込んだ冬空の2022年2月21日、岐阜地裁で言い渡された一審判決(裁判長・鳥居俊一)は、原告側の「勝訴」ではあったものの、いかにも中途半端で不十分な内容でもあった。判決後に「勝訴判決報告集会」を開いた原告の一人、近藤ゆり子に私も連絡をとったが、喜びというより判決の不十分さへの不満のほうが勝っているようだった。

 それも無理はなかった。一審・岐阜地裁の判決は、大垣署警備課が収集情報をシーテック社に提供したことは「原告らのプライバシー情報をみだりに第三者に提供されない自由を侵害した」として「違法」と断じ、請求額の半分にあたる一人あたり55万円、合計220万円の賠償を県に命じたものの、警備課による監視・情報収集活動そのものは概略次のような理由で容認したのである。

 「原告らの活動が市民運動に発展した場合、抽象的には公共の安全と秩序の維持を害するような事態に発展する危険性はないとはいえない」

 「したがって、大垣警察としては、万が一の事態に備えて日頃から原告らに関する情報収集等をする必要性があったことは否定できない」――。

 だが、原告と県の双方が控訴しての二審判決は一歩も二歩も大きく踏み込んだ。昨2024年9月13日に示された名古屋高裁(裁判長・長谷川恭弘)の判断は、大垣署警備課がシーテック社に情報提供したことを「違法」と断じるにとどまらず、大垣署警備課による情報収集活動そのものも違法であり、違憲だと根底から指弾したのである。

 当然、賠償額も原告の請求満額となる一人当たり110万円、合計440万円の支払いを県に命じ、まさに原告側の「全面勝訴」というべき内容の判決であった。一方の岐阜県警と大垣署警備課――いや、そのレベルにとどまらないこの国の公安警察組織と、それを中央集権的に統べる警察庁警備局にとってみれば、従来繰り広げてきた活動の根幹部分に司法が強烈な痛打を与えた衝撃的判決であっただろう。

公安警察の活動の根幹を突いた判決

 と同時に、大垣署警備課の情報収集活動そのものを「違法」と指弾したこの名古屋高裁判決は、強大な治安機関である公安警察組織の隠微な活動が社会や市民の日常にどのような悪影響を及ぼすのか、及ぼしかねないのか、そのあたりにも実に精緻な目配りを怠らず、公安警察組織を長くウオッチしてきた私も深く頷き、学ばされるところも多い内容でもあった。

 だから本稿では特に重要と思われる部分を以下、少し長めに引用しておきたいと思う。

 たとえば、「個人情報の収集及び保有がみだりにされない自由」も憲法13条によって保障されていると指摘した高裁判決は、これを公安警察の活動が侵すことによる悪影響を次のように鋭く警鐘を鳴らした。

 すなわち、「自己の情報を公権力が広く収集し、分析しているとすると、私人が自ら情報発信すること自体を躊躇する可能性があるし、情報発信する内容についても、公権力がこれを収集していることを前提とした内容にしてしまう可能性がある」。したがって「私人が自らの行動に対する心理的抑制が働き、少なくとも自由な情報発信に対する事実上の制約が生じることは明らかであって、憲法で保障された表現の自由(21条1項)や内心の自由(19条)に対する間接的な制約になる」。

 さらに、「公権力が、ある者の個人情報を収集しているということは、その者と接触する者の個人情報や、その者が所属する団体ないしグループ等の情報も公権力によって収集されることになるから、そのような者との交友を避けたり、そのような者がグループ等に入ることを嫌ったりすることが考えられ」、したがって「現実的な社会生活への影響を生じさせる」。

 この点への言及ついては、私も眼を見ひらかされた。都市部よりもむしろ地方部などで顕著だろうが、人間関係が濃密な地域コミュニティの場合、公安警察による監視・情報収集の対象とされることが当該のコミュニティ内での生活自体を困難に陥らせてしまいかねない。畢竟それは、公安警察の監視対象にされるような言動を日頃から避けるような圧迫を人びとに強い、そうした風潮が拡散することは社会や地域から自由や闊達さを失わせ、薄暗く不自由な社会や地域を確実に誘発する。とても重要で的確な指摘だと思う。

 加えて高裁判決には、こんな指摘も刻まれている。

 すなわち、「被告県は、(中略)反対運動の拡大へと発展したりするおそれがあったから、大垣警察が行なった本件における情報収集活動にも、その必要性は認められるなどと主張する」「しかし、このような主張によれば、昨今の市民(大衆)運動は、すべてこれに当てはまることになりかね」ず、「結局は、市民運動全てを危険視して、その情報を収集し、これを監視する必要があるということになってしまう」。

 その上で高裁判決はこう強烈な釘を刺す。

 「このように、市民運動やその萌芽の段階にあるものを際限なく危険視して、情報収集し、監視を続けるということが、憲法(21条1項)による集会・結社・表現の自由等の保障に反することは明らか」。さらには「そもそも市民運動が広がれば違法行為や近隣住民らとのトラブルが発生するとの経験則はないのであり」「原告らが行なってきたこれまでの活動をみても、何ら犯罪性や、公共の安全や秩序に対する危険性も認められない」。

 そして以下の言及は一層痛烈であり、誤解を恐れずに記せば、公安警察の活動が孕む根源的な矛盾を滑稽感すら滲ませながら指弾している。すなわち、「企業や公共団体等が行なう事業に反対する場合、その事業が不当なもので、反対することが正当なものであればあるほど、一時的な炎上等にとどまらず、着実に市民運動に発展して、拡大していく可能性が高くなるのであり、そうすると、被告県の主張によれば、反対運動が正当なものであればあるほど捜査機関の情報収集及び監視の対象になってしまう」――。

 まったく見事な判決である。だからこそ事案の直接当事者である大垣署警備課や岐阜県警はもとより、全国の公安警察組織を統べる警察庁警備局にとっては心底から苦々しく歯がみするような想いを抱く司法判断だったろうし、可能なら徹底抗戦しなければならないと思い定めたことだろう。この判決を甘受すれば、全国の公安警察組織が古くから続けてきた、あるいは現在も続けている隠微な情報収集活動の重大な足枷となってしまいかねないのだから。

 しかし、最終的には警察庁警備局の判断だったのだろう、岐阜県は上告を断念して判決は確定した。つまり、この画期的と評すべき司法判断は今後の公安警察の活動を一定程度は確実に制約する。いや、司法権の砦による判断である以上、制約されなければおかしい。

 とはいえ、本連載でこれまで記してきた通り、この四半世紀ほどの政治は――殊に「一強」と称された長期政権下では、強力無比な〝武器〟が公安警察組織に次々と投げ与えられてきたことも冷静に俯瞰する必要があるだろう。特定秘密保護法、共謀罪法、あるいは重要土地規制法等々、こうした治安法は公安警察組織の隠微な監視・情報収集活動に相当広範な法的お墨つきを与えるものであり、全体状況をみるならば、名古屋高裁の判断による足枷が公安警察組織の活動にどれほどの痛痒を与えるかは楽観を許さない。

国家公安委員会委員の「委縮するな」発言

 さて、最後にこれを余談として記すには重大すぎる話なのだが、名古屋高裁が画期的判決を示してから約2週間後の昨年9月26日午前、東京・霞ヶ関では国家公安委員会の定例会が開催されている。国務大臣である委員長と民間有識者から選ばれる5人の委員で構成される国家公安委は、警察組織を民主的に管理する重要機関であり、当然のことながらこの日の定例会では大垣署問題をめぐる高裁判決が議題のひとつとなった。

 国家公安委はホームページで議事の概略のみ公開しているのだが、そこには実に微温的な物言いながらも大垣署警備課や公安警察の活動に注文をつける意見が出た、と記録されている。

 「警察として本判決を真正面から受け止めて対応するべきである」

 「警察が行なう情報収集と情報提供については、それぞれその必要性と正当性を裏付ける根拠が求められる」……。

 だが、しかし――。

 一方で堂々こう言い放った委員もいたらしい。「今後、現場の活動が萎縮しないようにしてもらいたい」。まるで公安警察の隠微な監視・情報収集活動を鼓舞するかのような発言の主は、議事録の概要によるならば、宮崎緑・千葉商科大学学長。そう、かつてNHKで看板ニュース番組のキャスターを務めた元メディア人である。

 ああ、当局出身の委員がこのようなことを口走るならともかく、仮にもメディアとかジャーナリズム業界の出身者が、公安警察の隠微な活動を指弾した司法判断に「萎縮するな」と口走る倒錯。もっとも、そのような人物だからこそ、もはや〝お飾り〟と化した国家公安委員に選ばれ、週に一回の会合に出席する程度で2000万を超える年収を手にする〝名誉職〟にありつけるのだろう。世も末である。(つづく)

青木 理

(あおき・おさむ)フリージャーナリスト。1966年長野県生まれ。1990年共同通信社に入社。公安担当記者としてオウム真理教事件などを取材。著書に『日本の公安警察』(講談社現代新書)、『時代の反逆者たち』(河出書房新社)など。

2026年9月号(最新号)

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