気候変動対策は「生活の安全保障」
「地球沸騰化の時代が到来した」と警告したのは国連のグテーレス事務総長だった。日本でも熱中症による死者数は1995年から2005年までの間は300人前後で推移していたが、2010年から1700人を超え、2024年には2000人を超えた。年齢別では65歳以上が85.0%となり(1)、熱波に弱い人びとがより大きな影響を受けている。
(1)1 厚生労働省ウェブサイト「年齢(5歳階級)別にみた熱中症による死亡数の年次推移(平成7年~令和6年)」(2026年8月5日閲覧)
私たちが安全保障というとき、「外国からの脅威」を連想しがちだが、実際に多数の日本人を殺害している現象のひとつは、私たち自身も加担している気候変動である。今や気候変動は、各国政府が紛争や経済成長を理由に二酸化炭素排出量削減を怠る中で、私たちの生活の場で生死を左右する「生活の安全保障」への脅威だと言える時代になった。ゆえに気候変動対策は、ただの環境対策ではなく、私たちの安全保障のためでもある。そこで本稿では、気候安全保障(Climate Security)という考え方を紹介したい。
気候と紛争を結ぶ経路――脅威増幅要因
私たちよりも社会や環境が脆弱で危険な状態にある地域の人びとにとっては、生活は紛争によっても深刻に脅かされている。ウプサラ大学等の調査によると、2025年の世界で国家が関与する紛争は65件で第二次大戦後最多となった。そのほとんどは「内戦」や「国際化した内戦」だが、この数値は20件を下回った1946年の4倍近く(2)、多くの人びとに深刻な安全保障上の脅威をもたらしている。
(2) Siri Aas Rustad,” Conflict trends: A global overview,” 1946–2025. PRIO Paper. Oslo: PRIO, 2026.
1980年代までの軍事と国家中心の安全保障概念の見直しを経て、冷戦後の1990年代には、環境問題が安全保障上の脅威とする議論が活発になった。これを環境安全保障(Environmental Security)という。環境問題は社会経済的な悪影響を通じて、内戦を含む国家の不安定化につながるという議論で、それを示したものが図1である。

ここでは、環境問題が社会経済的な影響をもたらし、それが政治対立や暴力的紛争につながる大きな流れが示される。同時に、負のフィードバックがその流れを強化する。例えば、ある環境問題が悪化させた移民の増加や経済の低迷といった社会変化は、無理な開拓や森林伐採などの環境問題をもたらす。暴力紛争はまた、社会経済的な悪影響を悪化させ、さらに戦闘は環境も大規模に破壊してしまう。これらにより、さらに暴力紛争への流れは強まり、紛争激化につながるというのが、現在も続く基本的な考え方のひとつである。
2000年代に入ると地球環境問題の気候変動もまた、紛争につながると考えられ始めた。「気候安全保障」という概念の誕生である。最初期の議論、2007年の米シンクタンクCenter for Naval Analysis(CNA)の報告書「国家安全保障と気候変動の脅威」では、シェリー・グッドマンが編成した元将軍や提督たちのグループが気候変動を「脅威増幅要因(threat multiplier)」(「脅威乗数」と訳すこともある)と定義したことが、後の米国の政策や国際政治に大きな影響を与えた(3)。
(3) CNA Military Advisory Board, “National Security and the Threat of Climate Change,” The CNA Corporation, 2007, p. 6.
そこでは気候変動は脅威をつくり出すのではなく、既存の社会問題や紛争そのものに影響し、状況を悪化させることで脅威(=紛争リスク)を増幅させる要因として位置づけられた。この認識は現在でも変わっていない。気候変動対策はそれゆえに、国際政治における安全保障政策の一部としても認識が広がっている。
構造的暴力と気候正義――暴力増幅要因
平和学では、社会構造に起因する人びとの潜在的実現可能性の阻害を「構造的暴力」と呼ぶ。気候変動は、それを目的とした行動の結果ではなく、副産物としての温室効果ガスによる人為的現象である。温室効果ガスを大量排出するような社会の仕組みによる、という意味で構造的な問題といえる。
気候変動に科学的助言を行なう気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、その影響評価報告書で災害外力と曝露と脆弱性の重なるところに気候リスクが発生するとみる(4)。例えば、河川の近くの低地に大勢の人びとが暮らしていると、その街や人びとは潜在的な災害に曝露されている。また、その地域が堤防などで守られていないと、脆弱性が高い状態に置かれていると考えられる。そこに気候変動により、過去にない程の洪水の災害外力が発生すると、それに耐えられず浸水リスクが顕在化し、人的物的な損失や損害が発生する。これは地球規模の人為的な温室効果ガス排出による被害のひとつである。その責任は温室効果ガス排出を止められない社会の仕組みにあるといえる。
(4) IPCC著、環境省訳「気候変動2014:影響、適応及び脆弱性 気候変動に関する政府間パネル第5次評価報告書第2作業部会報告書 政策決定者向け要約、技術要約」環境省、2014年、5頁。
平和学は、このように加害者を特定できない、社会の仕組みが引き起こした問題で、その被害者が特定可能な場合には構造的暴力が存在すると考えて、原因となる社会構造の変革を目指す学問分野である。
気候変動の影響は多種多様かつ地域により不均一だが、一般的な傾向として、気候災害による被害は適応能力の低い貧しい地域ほど大きい。また被害を受ける人びとが必ずしも大量の温室効果ガスを排出しているわけでもない。例えば国際NGOオクスファムは、2024年の報告書で世界の最富裕層10%が二酸化炭素換算で全体の50%を排出しており、中間層40%が43%を、そして残りの50%の貧困層が8%を排出しているとしてその不平等を告発した(5)。
(5) Oxfam International, “Carbon inequality kills: Why curbing the excessive emissions of an elite few can create a sustainable planet for all,” October 2024, p.6.
これはいわゆる気候正義の問題でもある。この不公平な構造により誰が何をどれだけ負担し、誰が意思決定に参加し、誰の権利と尊厳が保護されるべきかを考えた場合、その不正義は明らかである。そして気候変動は、平和学から見れば脅威というよりは「暴力増幅要因」であり、その構造転換には、我々の化石燃料に深く依存した文明の変化までもが必要であろう。だがそれは決して容易なことではない。
容易でないが故にこの構造や不正義は固定されがちで、その結果として徐々に社会的ストレスや不満が蓄積し、不安定化からついには対立、紛争にまで至ることもある。気候変動による災害がどの程度紛争に影響するのかについての議論は研究者の間でも見解が分かれるが(6)、気候変動やその影響そのものが紛争に直結する可能性は低いとされている(7)。ただ政治経済的な側面が紛争の最重要要素であるとしても、環境安全保障論の時代から指摘されるように、環境問題が紛争へと悪化する経路の議論に大きな影響を与えるようになってきたのは事実であろう。気候安全保障論はその観点から、紛争予防の一方策として論じられるべき事柄である。
(6) 関山健『気候紛争―たった「2℃」が起こす戦争』光文社、2026年、101-109頁。
(7) Mach, K.J., Kraan, C.M., Adger, W.N. et al. “Climate as a risk factor for armed conflict,” Nature 571, 2019, pp. 193–197.
戦争が気候変動を増幅する
紛争や戦争は巨大な二酸化炭素排出源でもある。2022年から始まったロシアのウクライナ侵攻では、2025年末までに3億1140万トンもの二酸化炭素が排出されたという推計がある(8)。これは日本の2024年度中の産業部門の年間総排出量に匹敵し、家庭部門の約2.1倍にもなる(9)。ここには、気候変動による高温と乾燥に戦闘が加わり前線で戦火が消火できなかった場合を含めた火災の部分も7000万トンほど含まれている。これは戦闘自体が1億1400万トンという数値からみれば多いといえよう。2026年8月までに、ウクライナ軍はロシア内部での石油施設を攻撃し、大規模な火災も頻発しているため、今後の数字は更に伸びるおそれもある。
(8) Initiative on GHG Accounting of War, “CLIMATE DAMAGE CAUSED BY RUSSIA’S WAR IN UKRAINE: 24 February 2022 – 23 February 2026″(URL: https://en.ecoaction.org.ua/)(2026/08/10)
(9) 環境省「2024年度の温室効果ガス排出量及び吸収量(詳細)」(2026/08/10閲覧)
2023年10月に始まったイスラエルのガザ攻撃も130万トンを超える二酸化炭素の排出に匹敵し、戦前から戦後復興まで含めて推計すれば3320万トンという研究もある(10)。都市の破壊とその復興には大量のコンクリートが用いられるために、排出される二酸化炭素量も格段に増大するためである。2026年2月に始まったイスラエルと米国によるイラン攻撃でも、最初の2週間で、将来の再建分を含む二酸化炭素排出量換算が約505万トンに達するとの速報推計がある(11)。
(10) Benjamin Neimark et.al. ,”Israel-Gaza conflict carbon emissions exceeded 30 million tons,” One Earth 9, 101648, March 20, 2026.
(11) Patrick Bigger et.al., “Two weeks of war in Iran unleashed more carbon pollution than Iceland does in a year: US and Israeli bombardment is inflicting climate costs for decades to come,” Climate & Community Institute, March 21, 2026.
気候安全保障論では、気候変動が戦争につながる可能性を重視している。脅威増幅要因という表現がそれを物語っている。他方で、戦争が気候変動につながる温室効果ガスを大量に排出することは軽視されがちで、あまり報道もされない傾向にある。これは、人命や施設の損失や損害が注目されているためでもあるが、現在の人間中心社会の弱点ともいえる側面でもあろう。
気候の安全保障化という逆説
気候安全保障論は、米国では気候変動が軍事的な国家安全保障と強い繋がりをもつという認識から始まった。脅威増幅要因(threat multiplier)という言葉は、軍事的には戦力増強手段(force multiplier)と似ており、この言葉を聞いた将軍や提督たちにとっては受け入れやすいものだった(12)。一方でこのフレーズは、気候変動の安全保障化という側面をもつ。安全保障化とは「そのイシューが存立の危機として示され、緊急措置を必要とし、通常の政治的手続きの枠外の行動を正当化すること(13)」と定義される。気候安全保障論は、ともすれば、気候変動の影響が紛争原因や国益の喪失につながることを理由に、超法規的対応や軍事的な対応を正当化する可能性をはらむ。
(12) Sherri Goodman, Threat Multiplier: Climate, Military Leadership, and the Fight for Global Security, Washington: Island Press, 2024, p. 60.
(13) バリー・ブザン他著、今井宏平他訳『「安全保障化」とは何か―脅威をめぐる政治力学』ミネルヴァ書房、2024年、32頁。
この考えに対しては、多くの批判があった。それは古くは気候安全保障概念の源流で、環境を安全保障上の脅威であり同時に対応策だと考えた1990年代の環境安全保障論の時代から続く。曰く、軍隊ほど環境問題の解決に向かない政府機関はないにもかかわらず、問題認識や対応に過度な軍事化をもたらしてしまうというものである。
先述のグッドマン自身もこのことには少なくとも後年は自覚的であるが、彼女の思考は国家中心の安全保障観を超えることはなく、「安全保障の気候化(climatization of security)」が重要だと指摘し、それは「米国が追求しようとする他のすべての安全保障目標が、温暖化する地球の厳しい現実と絡み合う状況(14)」 だとした。
だが、この考え方では旧来の安全保障がもつ「敵味方関係」「国境管理」「国内の安全が優先」といった側面が変わらず重視され、それらは気候変動対策としての信頼醸成や国境を越えたグローバルな協力や協調といった気候変動対策の基盤となる部分とは相容れない。
国境を越えて支え合う安全保障――ケアと連帯
ここまでみてきたように、気候変動を脅威として軍事的に管理しようとすれば、戦争や軍備そのものが気候変動対策の予算を消費し、温室効果ガスを排出し、人びとの生活基盤と気候変動への適応能力を破壊することになる。私たちがここで問うべきは、国家を守るためと称して、誰のどのような生命と生活が守られ、誰の被害が不可視化されているか、である。
国連が提唱する「人間の安全保障」は、守るべき主体を国家から人間へ移し、信頼にもとづく連帯が保護とエンパワーメントと共に人間の行為主体性を促進すると強調した。これにより自律した主体が増大することで人びとの安全保障を追求しようとした(15)。
(15) 国連開発計画『2022年特別報告書 人新世の脅威と人間の安全保障 さらなる連帯で立ち向かうとき』日経BP、2022年。
「ケアの倫理」を研究する岡野八代の議論はさらに進んで、人間を自立した強い主体ではなく、身体をもち、傷つけられやすく、他者に見守られつつ依存して生きる存在としてとらえ直す。ケアとは、弱者への一方的な恩恵ではない。他者の具体的なニーズに注意を向け、危害(暴力)を避け、すでに傷ついた生を支え、依存関係のなかに潜む支配・従属関係を改める実践でもある。したがって、敵を傷つけることを正当化する軍事的安全保障とは異なる「反暴力」の政治原理となる(16)。
(16) 岡野八代『ケアの倫理と平和の構想―戦争に抗する 増補版』岩波書店、2025年、228-296頁。
気候変動の現状は、このケア関係を国境の内側に閉じ込めてはならないことを示している。だが、気候正義論が主張するように、被害も責任も等しくはない。歴史的に多く排出し、より大きな資源をもつ国家や企業には、より重い責任がある。目指すべき連帯とは善意の援助ではなく、影響を受ける人びとの声と個別のニーズを政策決定の中心に置き、十分な予算、損失と損害への支援、技術・知識の公正な共有、地域主導の適応として、ケアを制度化することである。
気候変動対策を平和増幅要因にする
こうした国際協力は、ケアを通じて生命を支える基盤を回復し、格差と排除を弱め、対話による紛争解決の力を育てる。そのとき気候変動対策は、危機を軍事化する安全保障ではなく、構造的暴力を減らす「平和増幅要因」となりうる。
だが気候変動対策を、現状の格差・排除・脆弱性のある地域の中で、暴力ではなく平和を増幅させる方策としていかに進めるかは難題である。たとえば、菅義偉政権が公約した「2050年カーボン・ニュートラル」は、あと24年で二酸化炭素の排出量と吸収量との合計を実質ゼロにすることを目指す。これは私たちの経済やライフスタイルの激変である。
世界規模で移動や生産が制限されたCOVID- 19危機下の2020年でさえ、化石燃料・セメント由来の年間二酸化炭素排出量は前年比約5.0%の減少にとどまり、翌年には反発して5.1%増加し、元の増加軌道に戻した(17)。これは脱炭素が一時的な消費抑制だけでは実現できず、エネルギー、交通、住宅、産業、都市構造(そしてここに含まれない農業などの土地利用)そのものの長期的転換を必要とすることを示している。しかし、そのコストや労力を低所得層や化石燃料産業に依存する地域へ一方的に負わせればそれは暴力増幅要因となり、格差と反発を深める。
(17) IEA Website, “Global Energy Review 2026,” (2026/08/12)
問われているのは脱炭素の速度だけでなく、将来世代を含め誰が費用を分担し、誰が利益と意思決定権を得るのかという公正と正義にもとづく移行である。そこには暴力の縮減という平和学の価値観とケアの倫理とが機能していなければならない。それが実現できて初めて、気候変動対策は平和増幅要因として機能するようになる。すべての人に変化が必要だが、必要な変化と負担は同じではない。より多く排出し、より大きな資源をもつ主体ほど重い責任を負うことが、公正な移行の条件である。
日本社会への含意
日本にとって気候変動は、遠い地域の紛争を生む「国外の脅威」ではない。熱中症や豪雨災害の激甚化、農漁業への打撃などを通じて、すでに人びとの生命と生活を脅かしている。とくに高齢者、低所得者、障害者、屋外労働者など、危険を避ける資源や手段の乏しい人びとに被害が偏る。気候安全保障は、軍事的な危機管理を広げる論理にも、生命と生活をケアするために安全保障を非軍事化する論理にもなりうる。日本が選ぶべきは後者である。
そのための気候変動の緩和策としての脱炭素政策は、排出量の削減目標だけでは評価できない。再生可能エネルギー、省エネルギーを普及させながら、費用を家計へ一方的に転嫁せず、産業転換の影響を受ける労働者と地域を支え、当事者を意思決定に参加させる必要がある。気候変動の適応策でも、医療、介護、防災、住宅、地域コミュニティを結び、最も傷つけられやすい人から守っていくケアの発想が求められる。同時に日本政府は、気候資金、損失と損害への支援、技術と知識の共有を通じ、国境を越えた排出者としての責任を果たさなければならない。
気候変動への対応で敵を名指すとすれば、それは日本を含む世界中の化石燃料に依存する経済制度と、それを維持してきた私たちの政治的選択である。だからこそ、それは私たちの社会の選択によって変えられる。ただし責任も被害も全員同じではない。負担能力と歴史的責任に応じて変革のコストを分かち合い、傷ついた生をケアする連帯を制度化するとき、気候変動対策は暴力増幅要因ではなく、平和増幅要因となるであろう。





