はじめに
今年1月、自民・維新連立合意書に基づき「国論を二分する大胆な政策」を推進するとして、突然の衆議院解散を表明した高市早苗首相は、これらの政策が右傾化ではないかと指摘され、「ふつうの国」になるだけだと述べた。「ふつうの国」とは、1990年代に自衛隊の海外派遣の是非が議論になった頃に登場した言説だ。政府は今日、国連PKOへの参加だけでなく、集団的自衛権の行使や「敵」基地攻撃さえもが現行憲法下で可能だと主張している。軍事費は10兆円を超え、国際軍事演習への参加も増えている。「ふつう」というよりも、アクティブな軍事大国のひとつに日本はなりつつある。
軍事化は、民生支出に対する軍事費の突出した増大、各地で進むミサイル等の配備、武器輸出、軍需産業の促進といった面だけで起きているのではない。「有事」に向けた人びとの強制移動や施設・物資の強制動員計画、経済活動や学術研究への監視・介入、国旗損壊罪、外国籍者の排除など、幅広い施策がまともな国会審議もないまま進められている。皇室典範改正に際しては、「男系男子による皇位継承は二千六百年にわたる伝統」という、戦前に逆戻りしたかのような主張さえ聞かれた。憲法改正に執念を燃やした安倍晋三元首相は、かつて「戦後レジームからの脱却」を掲げて、愛国心や伝統文化を重視する教育基本法改正を2006年に優先して行なった。その後継者を自認する高市首相も、憲法9条とともに、自由、人権、民主主義、ジェンダー平等といった戦後憲法のリベラルな原則そのものを破棄しようとしているのだろうか。
しかし、日本が軍事拡大してきた過程をふりかえると、保守政治家たちに見られるリベラルな価値への敵意にもかかわらず、それらの価値は政府によってむしろ、しだいに強調されてきた。たとえば2013年および2022年の国家安全保障戦略は、「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値」を日本の安全保障・国益の鍵として強調している。この過程では、外交・安全保障政策においても、女性/ジェンダーがしだいに重視されてきた。なにより、ジェンダー・バックラッシュを煽った安倍元首相自身が、第二次政権では「積極的平和主義」とならんで「女性活躍」を打ち出していたのである。こうした矛盾をどう理解すればよいのだろうか。
本稿では、冷戦終結期以降の日本の軍事化を、リベラルなジェンダー平等規範に対する反発と取り込みに注意を向けながら、ふりかえってみる。軍事力の行使が正当なものとみなされ、社会的資源の配分において国家の安全保障に、より優先順位が置かれるようになっていく軍事化とは、「ふつう」――規範に適う、正常な国とはどのようなものかが再定義されてきたプロセスでもあった。力の行使は、重要な他者の眼の中において正統なものでなければならず、だからこそ日本は、しばしば矛盾するやりかたで、そのアイデンティティを再定義しようとしてきた。そこではつねに、ジェンダーが重要な役割を果たしてきたのである。




