【全文公開】リアリズムの幻想――「トランプの傘」と平和への選択

豊下楢彦(元関西学院大学教授)
2026/09/07
米アリゾナ州のタイタン・ミサイル博物館で当時の発射サイロ内に保存されている無効化されたタイタン核ミサイル。タイタンは米国初の多段式大陸間弾道ミサイル(ICBM)で、1963年から1987年まで運用された。Photo by Stephen Cobb, 2018.

「核の傘」とは

 「核の傘」とは、仮に中国が日本に核攻撃を行なう場合、米国が壊滅的な報復核攻撃を加えると脅すことで中国の攻撃を抑えることを意味する。つまり、米国の核抑止の傘を拡大して日本に差し掛ける、という構図である。この「核の傘」の信頼性を強化するため日米間では「拡大抑止協議」が続けられ、2025年度の「防衛白書」では、核の脅威に対しては「米国の拡大抑止が不可欠」であり、日本自身の努力とあいまって「あらゆる事態からわが国を守り抜く」と記されている。たしかに、主要メディアも「日本は米国の核の傘に守られている」ことを大前提におき、世論もそれを受け入れてきた。

 しかし実は、この白書が公表される半年前には第二次トランプ政権が発足しているのである。では、徹底した「米国(自分)第一主義」で「習近平は私の友人」と公言し中国との「取引」を優先するトランプが、米中核戦争のリスクを冒してでも日本を守るために核のボタンを押すと、信じることができるであろうか。そもそも、1億2000万人の命と安全がトランプの握る核のボタンに依存していると考えるだけで、大半の日本人は、ただただ「悍(おぞ)ましい」と感じるであろう。仮に「トランプ大統領を信頼しますか」という世論調査をすれば、その答えは限りなくゼロに近いであろう。国際刑事裁判所の赤根智子所長に制裁を加え「法の支配」の根底を破壊しようとするトランプが「日本の守護神」とは、まさに“笑止の沙汰”である。要するに、「核の傘」が成り立つ基本的な信頼関係が失われ、「共通の価値観」も「共通敵」も存在しないなかで、「核の傘」は事実上崩壊しているのだ。自他ともに「軍事リアリスト」と目される識者の多くが拡大核抑止への依存を主張しつづけているが、それはリアリズムの喪失と呼ぶ以外にない。

日本の選択肢 核武装の道

 「トランプの傘」がまったくの幻想に過ぎないとすれば、それでは日本は独自の核武装に進むべきであろうか。実は米国の専門家から「選択的核拡散」という主張が提起されている(1)。つまり、民主主義国家であるドイツ、日本、カナダの核武装を認めるべき、というのである。これら3カ国が核をもつことで、ドイツの場合は対ロシア、日本の場合は対中国、カナダの場合は米本土への抑止力になる、というのが主張の根拠である。

(1) Moritz S. Graefrath and Mark A. Raymond, “America’s Allies Should Go Nuclear : Selective Proliferation Will Strengthen the Global Order, Not End It”, Foreign Affairs, November 19, 2025.

 しかし、この議論の致命的な弱点は、NPT(核拡散防止条約)からの脱退がこれら3カ国に止まり得る、と想定しているところにある。つまり、これら3カ国が核武装するためには北朝鮮の場合と同様にNPTから脱退しなければならないが、そうなれば韓国、トルコ、サウジアラビアなど多くの国々が雪崩をうって脱退し、NPT体制は事実上崩壊、核の無秩序状態が生み出されるであろう。いずれにせよ、日本の核武装はNPT崩壊の引き金を引くことを意味する。

「非核三原則」の見直し

 核武装ができないとすれば、「非核三原則」の見直しという道はどうであろうか。実は昨年6月、笹川平和財団は「拡大抑止の実効性向上、核の傘を本物に」と題する報告書をまとめた。そこでは、日本をめぐる核の脅威が高まるなか、「持たず・作らず・持ち込ませず」という非核三原則における「持ち込ませず」を「撃ち込ませず」に変更するべき、と提起された。この変更によって、米軍核兵器の日本国内への配備を可能とすべき、という主張である。なぜなら、「米国の拡大抑止の信頼性強化は、現下の日本にとって国家国民の生存を左右する喫緊の課題」だからである。そのため、「大統領の決断」によって「核兵器の使用を含むあらゆる対応対処が行われることを確実」にしなければならない、という。しかし、ここでの「大統領」とはトランプに他ならない。側近からも精神状態を懸念する声さえ伝えられるトランプが握る核のボタンに「国家国民の生存」を委ねるべきと、この報告書の筆者たちは本気で信じているのであろうか。

 そもそも、米軍部は今日の情勢において日本に核を配備することはターゲットになる危険性を孕み、その「軍事的意味」を認めていない。さらに、日本への核兵器の配備は、核保有国から非核国への「核の移譲」を禁じたNPTの1、2条に違反する。欧州5カ国の米軍基地には1950年代から核が配備されてきたが、これはNPTの成立以前からの運用と「解釈」され黙認されてきた。冷戦以降、このNPTの条項を公然と踏みにじったのは2023年5月のロシアによるベラルーシへの核の配備であり、日本や欧米諸国は「時代に逆行」と強く非難し撤回を求めた。仮に日本が国内への米軍核の配備に踏み出すならば、「日本はベラルーシの道を歩むのか」という厳しい批判にさらされるであろう。

 ちなみに、昨年末に「最終的に頼れるのは自分たち」「私は核を持つべきと思っている」と述べた尾上定正・安保担当首相補佐官は、半年前の前記報告書の作成に参画していた。おそらく、この高市首相の軍事ブレーンは、改めてトランプ政治の“実態〟を目の当たりにして、「非核三原則の見直しでは日本を守れない」との結論に至ったのであろう。

 軍需産業の「黄金時代」

 それでは、日本がとるべき新たな選択肢を検討するにあたり、改めて直面する内外情勢を見ておこう。

 2022年のロシアによるウクライナ侵略を機に世界は軍拡に向けて一挙に走り始めた。ストックホルム国際平和研究所によれば、2025年度の世界の軍事費は2兆8870億ドル、過去10年間で約4割増と史上最高額に達した。財政規律を重んじてきたドイツでは2025年3月、軍事予算を規律の対象外とする基本法(憲法)改正が成立し、世界屈指の自動車産業も本格的に軍需生産に参入、「自動車から兵器」への流れが加速している。

 高市政権も、兵器輸出を国の安全を確保するための「不可欠な手段」と位置づけ「5類型」を撤廃、省庁横断型の新法人を設け、兵器の生産工場「国有化」も含め国が本格的に関与する体制を構築しようとしている。つまり、軍需産業を経済成長の推進役とするもので、この路線は「令和の富国強兵」と称される。しかし、トランプ政権の要求をも受けて軍事費をGDP3・5%に引き上げるならば年間約23兆円となり、社会保障も医療も教育も崩壊するであろう。つまり、軍需産業が栄えて国民は困窮するという「貧国強兵」の日本が到来することになる。

 世界の軍拡を牽引するのは、言うまでもなくトランプ政権である。本年1月に公表された「国家防衛戦略」(NDS-2026)では、「防衛産業基盤の再構築」こそが「百年に一度の米国産業の復興」の軸になると強調された。同政権が関係諸国に大幅な軍事費の増額を求めるのも、米国製兵器への発注を飛躍的に高めるためである。かくしてトランプは同年3月に防衛・航空企業の大手7社のトップを招集した会議において、「高度な兵器の生産を4倍に増やすこと」を求めた。まさに、軍需産業「黄金時代」の幕開けである。

 しかし実は33年前には、まったく違った光景が見られた。1993年7月、当時のアスピン国防長官は防衛・航空15社のトップを招集した席上で、今後の5年間で国防予算を2割カットすると通告した。「最後の晩餐」とも称され、軍需産業「冬の時代」が始まった。この「平和の配当」によって軍事費はGDP比6%から3%に低下、浮いた資金は医療や教育に投じられた。それでは、「平和の配当」はなぜもたらされたのであろうか。それは、冷戦が終焉した結果に他ならない。

ゴルバチョフの「一方的軍縮」

 冷戦とは、米国と旧ソ連が膨大な核をもって対峙しあった時代のことである。結果的に両国が戦争に至らなかったことをもって、「秩序の核」とか「安定の核」とも評される。しかし、後出のグラフに明らかなように、1980年代半ばには米ソ合わせて、地球を何度も破壊できる7万発もの核弾頭を保有するに至った。まさに「狂気の核」である。なぜ米ソの核開発競争に歯止めが掛からなかったのであろうか。それは、核抑止論の論理そのものに由来する。

 抑止の原語deterrenceは「脅し」を意味し、壊滅的な報復核攻撃の脅しで相手の第一撃を抑えるという論理であるが、脅しが効くかどうかは相手次第であり、かくして脅しが「本気」か「はったり」かという「脅しの信憑性」の問題こそが、核抑止論の核心に位置づけられた。「本気度」を誇示するためには核戦力をたえずエスカレートせざるを得ず、それは「地球破壊」のレベルにまで達した。1980年代半ばには核戦争を想定した軍事演習が繰り返され、世界は米ソ全面核戦争の危機に直面した。

 こうした極限の危機情勢において登場したのが、ソ連の新指導者ミハイル・ゴルバチョフであった。彼は問題の本質を、ソ連の軍産複合体が「国を食い潰す」という現実に求めた。軍産体が肥大化を続ける絶対条件は、たえず敵を設定し脅威を煽り立てるところにあった。米国も同様の状況にあるなかで、ゴルバチョフは国際環境を根本的に組みかえる試みに挑戦した。それが「新思考外交」である。

 その核心は、「安全保障においては他国の利益を無視して自国の安全を確保することはできない」との基本概念であり、「悪の帝国」と「邪悪な帝国主義」とが不俱戴天の敵として対峙しあう関係に“終止符を打つ〟との決意をもって、ゴルバチョフは「一方的軍縮」を提唱した。米国のレーガン大統領も、「米国がソ連を恐れていたのと同じく、ソ連も米国を病的なまでに恐れてきたのだ」との判断に達した。かくして1985年11月のジュネーブ会談で両者は「核戦争に勝者なし」との認識を確認、さらに86年10月のレイキャビク会談では核兵器の「全面破棄」という「歴史的な合意」に達したのであったが、レーガンがSDI(スターウオーズ構想)に固執したため、この場では決裂した。しかし、翌87年12月にはワシントンでINF(中距離核戦力全廃条約)が調印された。これは米ソが核兵器の削減に初めて合意した歴史的な条約であり、この「核時代における前代未聞の快挙」を経て、1989年12月のマルタ会談でゴルバチョフとブッシュ(父)大統領が「冷戦の終結」を宣言するに至った(2)

(2) 拙著『「核抑止論」の虚構』集英社新書、2025年、第4章を参照。

国際世論の支持

 こうしたゴルバチョフのイニシアティヴを支えたのは、「世界は深淵の淵にたっており、これまでのような歩みを続けることはできないという広範な世論」であった。ゴルバチョフの著作『ペレストロイカ(改革)』は欧米で数百万部のベストセラーとなり、彼が訪米すると行く先々で米国市民の熱狂的な歓迎をうけ、彼の国連での演説は米有力紙によって国連の史上で「最も優れた演説の一つ」と絶賛された。こうした圧倒的な国際世論の支持を背景として、核弾頭の急激な減少と冷戦の終焉がもたらされたのである。

 以上の経緯を経て、グラフに明らかなように、1987年をピークに米ソの核弾頭数は劇的に減少した(3)。伝統的な核抑止論は、なぜ際限なき核軍拡が一転して軍縮に向かったのか、その要因を説得的に論じねばならない。なお、世に「レーガン神話」とも言うべき俗説が流布している。つまり、レーガンが大軍拡に乗り出したためにソ連の側も軍拡を迫られ、やがて経済が崩壊しソ連は解体、米国が冷戦に勝利した、というものである。つまり、軍拡こそが冷戦の終結をもたらした、との主張に他ならない。しかしこの俗説は、歴史的な根拠を欠落させている。なぜなら、レーガン政権が発足する以前から、ゴルバチョフが指摘したように、ソ連の軍産複合体がソ連の国家を「食い潰していた」のであって、この軍拡路線に対峙してゴルバチョフが「新思考外交」と「一方的軍縮」という「世界の規範を変える」選択肢を提示し国際世論を結集したことによって、冷戦の終結がもたらされたのだ。

(3) Estimated Global nuclear warhead stockpiles, Federation ofAmerican Scientists, 2024, 田窪雅文「世界の核兵器はどうなっているか アメリカ科学者同盟のリポートから」『地平』2024年9月号。同右拙著、297頁。

「トランプの傘」からの離脱

 先に見たように、1993年に米国の軍需産業「冬の時代」が始まり、米国や世界に「平和の配当」がもたらされることになった歴史的背景とは、以上のようなものであった。しかし今やまったく逆に、「戦争の配当」によって世界レベルで軍需産業が肥え太り、軍産複合体が各国の経済を「食い潰す」という状況が生み出されようとしている。この際限なき軍拡という「悪のスパイラル」に誰かが歯止めをかけ、冷戦の終結をもたらしたゴルバチョフのイニシアティヴを、誰かが引き継がねばならない。

 唯一の被爆国であり、とにかくも平和憲法と非核三原則を堅持してきた日本こそ、この歴史的な責任を担うべきであろう。それでは、ゴルバチョフが踏み出した「核軍縮」の道を日本が辿るとして、現状に照らしていかなる選択肢を取り得るであろうか。まずなすべきは、「トランプの傘」からの離脱を内外に宣言することである。冒頭で指摘したように、トランプがリスクを冒してでも日本を守るために核のボタンを押すなどということは、国民一般はもちろんのこと、「核の傘」の重要性を強調する軍事リアリスト、さらには「防衛白書」の筆者たちでさえ、実際のところは誰も信じていないであろう。とすれば、日本が「核の傘」から離脱するということは、「現実」を明確化させる象徴的な行為に過ぎない。この離脱によって、日本は核の抑止力に依存しないことを世界に向って鮮明に打ち出すことになる。さらに、核兵器禁止条約に加盟しない根拠も失われる。

 それでは日本は、この離脱によって孤立するのであろうか。冷戦対決のなかで「大国」としての影響力を行使し得たゴルバチョフの場合とは違い、日本が依拠すべきは、大国間の対立に翻弄される世界のすべての非核国であろう。実はアジア・太平洋には核の抑止力に依存しない数々の「非核地帯」が存在しており、それらの国々に結集を呼びかけ連携に乗り出すべきである。具体的には、1986年に非核地帯条約が発効した南太平洋、97年の東南アジア、2009年の中央アジア、さらには1998年に「非核の地位」が国連総会で承認されたモンゴルなどである(4)。なお日本は非核の道に踏み出すにあたり、韓国にも提携を呼びかけるべきであろう。なぜなら、北朝鮮に「非核化」を求めるという場合、日本も韓国も「核の傘」という名の核抑止力に依存したままでは、少なくとも論理的には、何の説得力も持たないからである。

(4) 梅林宏道『非核兵器地帯という選択』地平社、2025年。

「消極的安全保障」

 以上のように非核地帯条約の国々と提携を深めるということは、いわば「非核の傘」によって核保有国を包囲する、という構図を意味する。なお、仮に「非核の傘」連合といった枠組が形成されるならば、その本拠は、米軍占領下で1300発もの核が配備されアジア・太平洋地域で最大の「核の島」となった沖縄にこそ、置かれるべきであろう。

 さて問題は、非核を選択した国々の安全をいかに確保するかにある。実は、NPTの検討段階で核の保有を禁じられる国々は核保有国に対し「安全の保障」を求めた。当初核保有国の側は、非核国が侵略を受けた際には国連が主導して防衛するという「積極的安全保障」を唱えたが、安保理で拒否権が行使されれば何ら実効性をもたないことは明らかであり、それに代わって、核保有国は非核の国々に対し核の使用や威嚇を行なわないという「消極的安全保障(NSA)」の確約を要求した。これを受けて5核保有国はNSAを確認する一方的宣言を行なうとともに、南太平洋、中央アジアの非核地帯については米国以外の4核保有国がNSAを批准、モンゴルについては5カ国が共同で確認を行なった。

オーウェルの予見

 2022年になり、ロシアによるウクライナ侵略をうけて英米仏3カ国はNSAを再確認する共同声明を発したが、本年2月に米国はイランへの攻撃に乗り出した。核大国が非核国を侵略し攻撃を加えているのであり、同じ事態が東アジアでも起こる可能性を否定できない。「核保有国は非核国を攻撃するな」というNSAをNPTに組み込み条約化することの緊要性は、明らかであろう。

 ところで、全体主義の恐怖を抉り出した古典『1984年』で著名なジョージ・オーウェルが、問題の本質を暴き出している。オーウェルは、「ものの数秒で数百万の人々を消し去ることができる兵器を持った2、3の怪物のような超大国が、彼らだけで世界を分け合うという未来予測」をたてた上で、これら大国が「報復する力のない者だけに原爆を使用し、あるいは威嚇する」という事態が生まれる、と鋭く指摘した。核(原爆)は、それを持たない国や人々への“威嚇の道具〟であり“支配の道具〟に他ならないという核問題の本質をオーウェルは喝破したのであったが、彼がこの驚くべき予見を提示したのは1945年10月、つまり広島・長崎への「核攻撃」からわずか2カ月後のことであった(5)。その先見性には、ただただ驚くほかない。

(5) George Orwell, “You and the Atomic Bomb”, Tribune, October19, 1945, 同上、99-102頁。

 このオーウェルの予見をも踏まえつつ日本は、すべての非核国に対する「消極的安全保障」の制度化を世界に向けて訴えるべきである。実は非核地帯条約が最初に調印されたのは、中南米33カ国を対象とした1967年のトラテロルコ条約であったが、96年にはアフリカ54カ国を対象としたペリンダバ条約が調印された。ここに示されているように、グローバル・サウスの国々の大半が非核地帯に属している。

 これら非核地帯の国々も含め、今や世界の大多数の国々は大国の戦争に翻弄され、危機が深まるなかで否応なく軍拡を余儀なくされ、それによって国力の疲弊に直面しつつある。こうした情勢において、日米同盟の下にありながら、とにかくも「平和国家」を標榜してきた唯一の被爆国である日本が、核を含む際限なき軍拡の流れを反転させ軍縮の旗を掲げるならば、国際世論の大きな支持を結集することができるであろう。

「中国の脅威」

 もっとも、日本の世論においては、急速に核戦力を増強しつつある「中国の脅威」にいかに対処するかが重大な関心の的となっている。ここで想起されるのが、安倍元首相の対中外交である。安倍は首相を退陣してから「敵基地攻撃論」とか「台湾有事は日本有事」といった勇ましい発言を繰り返したが、これらは、トランプに要請されて強引に導入を決めた「イージス・アショア」の破綻という“大失態〟を糊塗する狙いが背景にあった。しかし首相在任中は、なかなかにリアルな外交を展開した。

 2018年に訪中した安倍は習近平主席との間で「東シナ海を平和の海に」との決意を確認、軍事交流や経済交流を深めることに加え、習近平を「国賓」として日本に招くことに踏み切った。コロナ禍さえなければ2020年には習近平が来日して天皇とも会見し、日中関係は大きく改善されていたであろう。安倍がこうした対中外交に乗り出した背景には、トランプにとって台湾問題は「対中貿易交渉に使う一つのツールにすぎない」といったリアルな認識があった。いずれにせよ、安倍の現実主義的な対中外交は、今日の緊張した日中関係を緩和していくうえで、大いに参照されるべきである(6)

(6) George Orwell, “You and the Atomic Bomb”, Tribune, October19, 1945, 同上、99-102頁。

核保有国の「透明性」の制度化を

 ところで、「消極的安全保障」の制度化を核保有国に迫ることは核の役割を低減させていく重要なステップとなるが、これに関連して、本年5月に閉幕したNPT再検討会議で重要な提案がなされた。この会議については、最終文書の採択に失敗したことで「何の成果もなかった」との評価が見受けられるが、実はアイルランド・ニュージーランド・スイスの3カ国が提出した「作業文書」は、刮目すべき内容を孕んでいた(7)

(7) Working paper submitted by Ireland, New Zealand and Switzerland, Enhancing  transparency and accountability through national reporting by the nuclear -weapon States, in particular on the implementation of article Ⅵ and its related commitments, and associated in-person, interactive dialogue : Elements for a draft decision, NPT/conf.2026/wp.7

 まず核保有国に対し、核戦力の規模、配備状況、NPT6条に規定された核軍縮の履行状況などについて国連軍縮部への定期的な「報告書」の提出を義務づけること、さらに、提出された「報告書」について非核国からの質問に直接答える公開の場を設けること、が提起されている。つまり、核保有国の「透明化」と「説明責任」というものを「制度化」することが、この「文書」の大きな狙いであった。

 3カ国がこうした大胆な提案を行なった背景には、非核国はたえずIAEAによって査察されているのに対し核保有国の側の透明性は無きに等しいではないか、という強い問題意識があった。核戦力の増強や核による恫喝、「核の傘」の拡大など世界で核危機が深刻化するなか、この提案は画期的な意味をもつものであろう。今や世界のすべての非核国が核保有国に対し、「文書」が唱える「透明化」と「説明責任」の制度化、さらには「消極的安全保障」の法制化を「共通目標」として掲げ、広く国際社会の世論を結集すべきである。こうした働きかけを通して、核兵器禁止条約への締約国の拡大と核廃絶への道を切り開いていかねばならない。

核危機の究極段階

 3カ国が「透明化」と「説明責任」の制度化を核保有国に突き付けた背景には、NPT体制が限界を迎えつつある、との認識があったはずである。去る4月、トランプ大統領は「イランの文明を一夜で消滅させる」と述べて核攻撃を示唆したのに対し、「戦争犯罪だ」との批判が巻き起こった。これに応えてトランプは、「いかれた国が核を持つことこそ戦争犯罪」と反論した。奇しくもこの反論は、問題の本質を浮き彫りにすることとなった。なぜなら、プーチン、トランプ、ネタニヤフ、金正恩、あるいは台湾危機に直面した際の習近平など、核保有国の大半が「いかれた指導者」に率いられているからであり、トランプの言葉を借りれば、まさに「戦争犯罪」に他ならないからである。

 3カ国の危機感の背景には、「AIと核」という問題もあったであろう。イラン戦争に見られるようにAIが本格的に戦争で駆使されるに伴い、抑止力の向上のために「核のボタンをAIに委ねるべき」といった主張が公然と展開される状況となった。なぜなら、AIは大量の情報処理と迅速な分析を可能とするばかりではなく、何よりも感情に左右されず危機時の誤算のリスクを軽減するから、というのである。ロンドンのキングス・カレッジでの最新研究によれば、核危機に直面してAIがくだす戦略判断に関するシミュレーションでは、21回のシナリオで20回も核の威嚇や使用が選択されたという。ここでの特徴は、「核のタブー」という感情が核のエスカレーションを抑える役割を全く果たすことができなかった、というところにある(8)

(8) Kings College London, King’s study finds AI chose nuclear signalling in 95% of simulated crises. 2 7 February 2026; Kenneth Payne, “AI Arms and Influence: Frontier Models Exhibit Sophisticated Reasoning in Simulated Nuclear Crises,” arXiv preprint, arXiv: 2602.14740(2026).

 今や、核が人間の手を離れて「自律的」に敵を攻撃するという危険性が迫っている、と言っても過言ではない。ところが、例えばフランスのマクロン大統領は「これからの半世紀は核の時代になる」と宣言して核戦力の増強に乗り出し、中国は10年後には米ロに迫る2000発もの核弾頭を配備できるであろうとも報じられ、さらにロシアの大統領府は「世界大戦を防ぐ唯一の手段は核しかない」と言明した。しかし歴史を振り返れば、すでに見てきたように、1980年代半ばの全面核戦争の危機を脱することができたのは核軍拡の路線ではなく、「長年にわたり世界の現実を支えてきた規範を変える」という「新思考外交」と「一方的軍縮」に象徴される大胆な核軍縮の路線であった。

 軍事リアリストは、本稿で展開してきた構図について「絵空事」と批判するであろう。それでは、「トランプの傘」という虚構に依拠しつづけることで、いかなる未来が開かれるというのであろうか。寝ても覚めても「抑止力の強化」を唱える「旧思考」に基づいて、ひたすら軍拡の道を歩みつづけるその先には、いかなる世界が待ち受けているのであろうか。「破滅」という以外に、いかなる答えが見いだされるのであろうか。米ソ関係を軸とした当時とは時代状況を異にするとはいえ、7万発もの核弾頭を劇的に減少させ、際限なき軍拡の流れを「反転」させたゴルバチョフの「思考と行動」は、今こそ正面から捉え直すべきであろう。

「タブー」としての原発攻撃

 高市政権は年度末に向けて安保三文書の改定をすすめている。同政権の防衛政策の危険性は、アジア・太平洋戦争を「侵略戦争」ではなく「自存自衛の戦争」と位置づける首相の歴史認識そのものにある。さらに、それに輪をかけて、脅威を煽り立てる〝空虚な言葉〟が乱発される。それを象徴するのが小泉防衛大臣であろう。彼は5月、北朝鮮が無人機やドローンで攻撃してくる危険性に警鐘を鳴らした。それでは、かくも北朝鮮の脅威が切迫しているのであれば、なぜ小泉は原発の再稼働・増設を急ぐ政府の方針に異を唱えないのであろうか。

 言うまでもなく、「原発銀座」の福井であれ新潟であれ島根であれ、日本の主要な原発は、海を挟んで北朝鮮の眼と鼻の先に位置している。稼働中の原発にミサイルや大量の無人機が撃ち込まれれば、日本列島は核攻撃に劣らぬ大惨事に見舞われるであろう。ウクライナやイランに見られるように、今や原発は攻撃対象となっている。勇ましくも「タブーなき議論」を掲げる小泉は、なぜ原発攻撃を「タブー」とするのであろうか。

 問題の焦点は、防衛政策とエネルギー政策が、まさに“支離滅裂〟の状態のままで放置されてきたところにある。「戦後最も厳しい安全保障環境にある」と喧伝して練り上げられる安保三文書の改定を経てもなお、「日本だけは原発攻撃の対象外」との立場をとりつづけるのであれば、日本の防衛政策は文字通りの“ガラパゴス〟と断じる以外にないであろう。

豊下楢彦

(とよした・ならひこ)元関西学院大学教授。2021年に古関彰一氏と共に第8回日本平和学会平和賞を受賞。著書に『核抑止論の虚構』『安保条約の成立』『集団的自衛権とは何か』『尖閣問題とは何か』など。

2026年10月号(最新号)