【連載】〈叛–地政学〉への旅――いくつものフォルモーサへ(3)アメリカの外なるアメリカ、内なるアメリカ

今福龍太(文化人類学者・批評家)
2026/07/05
Beige wave-pattern cover with two blue birds and pink flowers, a vertical Japanese title in the center, and '連載' on the right.

「アメリカ湾」という奇想

 2025年1月20日。北米に再登場した奇矯で独善的な大統領が、就任初日に「メキシコ湾をアメリカ湾に改名する」と一方的に宣言し、大統領令に署名した。アメリカ国家の安全を脅かすという根拠なき理由で「メキシコ」および「メキシコ人」をあからさまに嫌悪するこの人物にとっては、「許可なく国境を越えて麻薬や犯罪を持ち込む」メキシコ人だけでなく、自国の領土の南の海岸線が接する広大な「海」の名前がメキシコであることさえ我慢ならないのだろう。メキシコ、アメリカ、キューバがその海岸線を分け合う開かれた海の長く豊かな歴史を無化し、占有しようとする、それはあまりに身勝手で蒙昧な宣言であった。

 けれどここには私たちも陥りかけている、地名をめぐる一つの落とし穴がある。なぜなら、この問題を、たんに「アメリカ」国家による「メキシコ」という国家の名の拒絶とその抹消の動きであるととらえることは大きな誤りだからである。もしそのように解釈することで事足りるのであれば、それは私たちが、独善的な為政者と同じく、地名というものの背後で生きられてきた繊細な歴史と記憶の機微を、表層の国家的地政学の構図のなかですっかり見失っていることを意味する。

 複雑な歴史的経緯を簡潔に語ってみよう。そもそも「メキシコ湾」Gulf of Mexico/Golfo de Méxicoの「メキシコ」の由来は、国家としてのメキシコにちなむものではない。それは、古代からこの海の西側を住み処とし、自在に航行していた先住民メシカ族(アステカ族)の声の谺(こだま)をいまにひびかせる名として受けとめるべきであろう。

今福龍太

(いまふく・りゅうた)文化人類学者・批評家。1955年東京生まれ。東京外国語大学名誉教授。奄美自由大学主宰。現在、淡水の淡江大学客座教授として台湾に在住。著書に『クレオール主義』『群島―世界論』(以上水声社)、『霧のコミューン』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(以上みすず書房)、『宮沢賢治 デクノボーの叡知』(新潮選書)、『原写真論』(赤々舎)など多数。

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